ミモザの森のチェシャ猫館
好きなこと好きなだけミモザ☆の日々の想いを綴ります    

手を合わせる~もう一題

お説教の中のエピソードをひとつ。
ある県では(あえて県名は言われませんでした)給食の時手を合わせていただきます」ということを、ひとつの宗教的行為だといって子供たちにやめさせたそうです。
でも「手を合わせる」という行為は実は行為や事柄と心や想いが重ね合った時におのずから表われる姿なのだとおっしゃってました。
心と事象を手と手で合わせる形ですね。
そして心惹かれた猿の話。
東南アジアでは猿を狩る習慣がありますが、追い詰められてイザ銃で撃たれるという時になると猿はなんと手を合わせて命乞いをする。その姿に猟師さんは心が揺らぐそうです。
猿に神様も宗教もない。そんな猿が自然に手を合わせるんです。「手を合わせる」ことが宗教に結びつくものではない、心から事象に向かい合った時、あるいは心極まったときのすがたなんですね。
食に感謝してありがたくいただくときに手を合わせる姿は清らかと思いますがいかが・・・?
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Comment

えっ?
「いただきます」って手を合わせることが宗教行為ですって?
なんで?と思いますね。
そういえば、高校生の頃、お弁当に「いただきます」って手を合わせたら、凄く驚かれた(ていうか、笑われた)ことがあります。
その子にとっては不思議な光景だったそうです。私はそんな彼女のほうが不思議でしたけど。
意味を理解せずに、宗教行為だと決め付けるのは、大人としてどうかと思います…。
2007.08.10 18:29 | URL | ななみっち #qBpKbO02 [edit]
>ななみっちさん
最近はボーダーラインがなくなって、なんでもありの世の中になっていますが、逆に不思議なところに過敏に反応して禁止したり廃止したり声高に叫んだりということがよくあります。何か間違っている気がしますね。
2007.08.10 22:47 | URL | ミモザ☆ #- [edit]
命に対するお礼の行為なのに。なのになんだかかなしいですね。
手を合わせることが宗教行為なら、「ごめん」のときに手を合わせるのも同じことになっちゃいますか。考え方一つでいいことがなくなってしまうのは寂しい限りです。
2007.08.11 00:03 | URL | あこまる #- [edit]
宗教的行為ですか・・・。
手を合わせる事は幸せに繋がると教え育った者としては悲しいですね。
私の仕事場では(今日で終わりましたが)昼食の時、手を合わせ『いただきます』と言うと、側にいる誰かが『はい、どうぞ』と言ってくれます。それが、凄く幸せに浸れる一瞬だったりします。
有難味を感謝しなくなった子供の心はどうなっちゃうんでしょうか・・・今の時代を象徴してる出来事ですね。情けない。
2007.08.11 21:50 | URL | 魅由貴 #iaa7AtqM [edit]
>あこまるさん
そうですね~「命をいただいている」んですよね。
そして「食事五観」でもありましたように、たくさんの苦労と人の手を経て食卓に上っている。それだからこそ感謝して「いただきます」というのです。
この気持ちは大事にしてもらいたいけれども揃って同じ行為や言葉をいう必要はないのですが・・・
2007.08.11 23:49 | URL | ミモザ☆ #- [edit]
>魅由貴さん
「いただきます」「ご馳走様でした」
いい言葉ですよねぇ。「ありがとうございます」でも良いから感謝の気持ちを持って日々過ごしたいものです。
手を合わせなくても、心の教育はして欲しいですね。
2007.08.11 23:59 | URL | ミモザ☆ #- [edit]

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